いいえ、その日は舞台なので。

舞台へ通う金欠庶民の感想ブログ

Being at home with Claude~クロードと一緒に~

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STORY

[公式サイトより引用]

1967年 カナダ・モントリオール。裁判長の執務室。
殺人事件の自首をしてきた「彼」は、苛立ちながら刑事の質問に、面倒くさそうに答えている。男娼を生業としている少年=「彼」に対し、明らかに軽蔑した態度で取り調べを行う刑事。部屋の外には大勢のマスコミ。
被害者は、少年と肉体関係があった大学生。
インテリと思われる被害者が、なぜ、こんな安っぽい男娼を家に出入りさせていたか判らない、などと口汚く罵る刑事は、取り調べ時間の長さに対して、十分な調書を作れていない状況に苛立ちを隠せずにいる。
殺害後の足取りの確認に始まり、どのように二人が出会ったか、どのように被害者の部屋を訪れていたのか、不貞腐れた言動でいながらも包み隠さず告白していた「彼」が、言葉を濁すのが、殺害の動機。
順調だったという二人の関係を、なぜ「彼」は殺害という形でENDにしたのか。
密室を舞台に、「彼」と刑事の濃厚な会話から紡ぎ出される「真実」とは。

 

4/25マチネ『クロードと一緒に』Blancキャストを観劇しました。

あらすじがスリミに似ているという理由でチケットを取った方が周りに何人か居たのだけど、この演目を観る時はスリミのことは全て忘れてから観て頂きたい。

自分は事前にスリミを忘れて観るように助言を頂いたので最初から集中して観られたのだけど、スリミみを求めて観るとアプローチが違いすぎて多分死にます。

 

 

取り敢えず

この演目、脚本が悪くない?

いや悪いって言い方はよくないな。

自分に刺さらなかった理由は脚本なんじゃないかって話。

 

舞台用の会場じゃないので音が悪い、演者の滑舌問題、そもそものセリフの言い回し、独白部分で如何に客の意識を引き付けていられるか。

ハードルが沢山あった気がする。

この舞台は完全に演目が目的で観に行ったのだけど、もし主演が自分の好きな役者さんだったら何度も通って絶賛するような演目だったと思う。

だからこそ脚本の力が足りないんじゃないかと思うんです。

 

足りないっていうか、なんだろうな。

単純に自分が客層から外れてるってことなんですけど。

この演目を通して何をどこまで伝えたかったのか?って思うと謎なんですよね。

イーヴは彼を愛していたから殺害した。

うん、そうだね

って感じで。

愛が殺人の動機となり得るってあまりにも普通のことを言うものだから「うん」としか言えなくて。

 

ってここまで書いて調べてみたら初演は1985年なんですね。

この年代ならこの戯曲が画期的だったのも頷けるかも知れない。

 

 

総合的に

良かった。良かったと思う…多分。

この演目のポイントは「愛が殺人の動機となり得る」っていうあまりにも当たり前で単純な出来事をどれだけ「悲劇」として自分の中に取り込めるかってことだと思う。

そういう単純な感情を105分に引き伸ばした意義を受け取れるかどうか。

イーヴの幼さと愚かさを愛して、言葉にすると陳腐になってしまう感情をイーヴの身体から、生き様から感じることができるかどうか。

あとは文体が身体に合うかどうかかな。

 

 

あまり刺さらなかったと書いたけれどこの演目はこれで正しいと思います。正しいって管理人の感想がじゃなくて「演目」が。

この演目は多分これで正しい。

正しく表現され、正しく届けられた。

後は観る人がどう受け取るかって話。

 

だからこの舞台は良かったのだと思います。

管理人は日程的にBlancしか観られないのが残念。

Cyanも観てみたかった。

両キャストの違いを感じた上で再度作品にどっぷり漬かりたかった。

 

 

分かる限りでストーリーを追う

イーヴとクロードは5カ月前、ハッテン場で出会った。

その日のクロードはとても酔っていてイーヴを買った後も手を出さず話をするだけで寝てしまった。

イーヴは長ったらしい話は嫌いだったし、男娼を仕事として正しく認識していたから相手がどんなに良い奴でも権力がある奴でも代金を忘れたことは一度もなかった。

けれどその日、半分も分からないクロードの話を聞くのは不思議と心地よくて自然体で居られた。イーヴはクロードから貰った代金を置いて部屋を出た。

 

クロードはデモ活動に参加していて、デモが終わった後は人が変わったように興奮し通常の彼に戻るには時間がかかった。

その時のクロードはデモ集団としての主張に飲み込まれていてイーヴはあまり好きではなかった。

 

イーヴとクロードはその後も定期的に会っていた。

クロードはイーヴの仕事に口を出すことは無く、ある時からイーヴにデモの話をすることも無くなった。

それであの日、

イーヴが仕事を終えてクロードの部屋に行くとお風呂が沸かしてあった。

それをクロードは恥じた。

後もう5分イーヴの訪問が遅ければお風呂のお湯は全て抜いていたとクロードは言う。そうすれば君を思う自分の気持ちを君に知られることは無かったのにと。

クロードは夫の帰りを待つ妻のような真似はしたくなかったし、イーヴがそれを望んでいないことも知っていた。クロードはイーヴの妻では無く、母親でもなく、同じ男で少年で。ただイーヴのことを愛していた。

 

食事の前に、デモ活動に参加しないかという電話がかかって来る。(おそらくガールフレンドから)

クロードはそれを断った。「大切な用事がある」と言って。

電話を切った後、クロードは普通だった。

デモの話があったのに以前のように興奮はしていない。意識をこちらに引き戻すこともしなくていい。

クロードは普通で、イーヴのことを真っ直ぐ見ていた。

その時イーヴは自分がクロードを愛しているのと全く同じ形でクロードも自分を愛しているのだと分かった。

生まれて初めて他人の頭の中が全て分かった。

自分を幸せにしてくれるように自分も彼を幸せにしたいと思った。それはイーヴが幸せになることだった。

イーヴが幸せならクロードは幸せで、クロードが幸せならイーヴは幸せ。馬鹿みたいに単純なそんな気持ち。

同時にそれは身体を使ってしか他者と関わることができないイーヴにとって絶対に手に入らない筈のもので、未来を思うよりも今を失う恐怖が見えた。

 

だからイーヴは彼を殺して終止符を打つ。

「幸せを失う恐怖」を止めたことでイーヴは安堵する。

けれど今度は「彼がいなくなった現実」を受け止めることができない。

彼を探して街をうろつく

どこかでまた会えると本気で思っていた。

けれど彼はいなくて耐えられなくて

クロードを愛していたこと、クロードも自分を愛していたことを誰かに知ってほしくて今回の騒動を起こした。

(多分こんな流れ)

 

 

 

零れもの

・裁判長のエピソードが好きでした。

裁判長はイーヴを抱いた後にキレる。

妻に子供、誇れる家に車、立派な職業、その全てを危険に晒してイーヴを買うのに抱いた後は自分の愚かさを知られたくなくてキレる。

裁判長はどんなに酷く罵ってもイーヴにまた会えると知っている。

それはどんな我儘を言っても両親は決して自分を見捨てないと知っている子供みたいでイーヴとは真逆の環境・価値観。

生まれながらにして幸せのレールの上にいる者とそうでない者のコントラストが鮮やかでとても良い

 

・場所や時間を細かく明示しているのは何でなんだろう。

話の核とするところはぼやかすから少しでもリアリティを出すためなんだろうか

 

・「彼」という名称が誰を指すのかがコロコロと変わっていって面白い。

きちんと聞いていないとあっという間に取り残される。

 

・ラストの「腐っちゃうなぁ…って」というセリフがずっと耳の奥に残っている。観なければ良かったと思えるくらい深く。

それをこのまま大切にしまっておけば良いのかさっさと投げ捨ててしまえば良いのか分からなくてずっと手の中で転がしたまま途方に暮れています。

暫く消化できないかも知れません。

やっぱり何度か観るべきだったかな。

 

・後から気がついたんですがこの演目って頭の良い人が一人も居ないんですよね。何故なのか。

特にイーヴ。どうして彼をこんなに頭が良くないように描写するんだろう。

男娼だから?学が無いってこと?

この戯曲が作られた時代的にそういう認識なのかな。

 

・作者は意図的にイーヴの感情を分かりにくく分かりにくくしようとしていると思うんだけどその意図は何?

メリバで終わらせずその後も見せることで、どう感じて欲しいんだろう。

言葉に表せないものを役者の身体を使って観ている人たち自身に見つけさせたい、そういうことなんでしょうか。