STORY
[公式サイトより引用]
若くして名のある美術展で大賞を受賞するも、今では自己表現として真黒な絵ばかりを描く画家オガワ。
そんなオガワと、彼を取り巻く画商、友人、そしてギャンブルで生計を立てる謎の男のやりとりがフラッシュバックのように描かれ、思いもよらない展開を見せる物語。
謎の男とは一体、何者なのか……。
4/20マチネ hymnsを観てきました。
観る予定は無かったのだけど新納さんのツイッターを見ている内につい。
5人芝居というだけで惹かれるのにストーリーも面白そう、11年ぶりの公演。舞台上の新納さんを観てみたいなーと思っている内に気が付いたらチケットを取っていました。
お話自体は…なんだろう。
セリフが固形でしっかりとひとつひとつ形を作っているのに全体はふわっとしているといいますか。
スズカツワールドは初体験だったのですがパンフで新納さんが「わかったようなわからんような感じ」と仰っていてあ、この楽しみ方であっているんだなと安心しました。
考察厨はさぞ楽しい演目だと思います。
登場人物(敬称略)
オガワ(佐藤アツヒロ)=画家
10年前に大賞を取り時の人だったがその後低迷。クライアントの依頼を受け付けず黒い絵ばかりを描く。
クロエ(新納慎也)=ギャンブラー
オガワがバーでナナシに詰られている時に突然割って入ってきた謎の男。オガワの部屋に住みつく。
ナナシ(中山祐一朗)=画商
オガワに融資していた画商。売れない絵ばかりを描くオガワに苦言を呈する。
ムメイ(山岸門人)=友人
オガワの友人兼マネージャー。オガワ以外のアーティストの面倒も見ていて公私ともに順調。オガワに苦言を呈する。
ナカハラ(陰山泰)=?
絵画鑑賞をする謎の人物。ナレーションのようなポジションでもある。
まず
セリフが良いです。
登場人物がそれぞれとても印象的なセリフを言います。
核心を突く真っ直ぐな言葉。
上記で『セリフが固形』と書きましたが、本当にひとつひとつがしっかりとした芯のある言葉なんです。だからこそ最終的な解釈を観客に丸投げするような大筋は面白いし驚きがありました。
オガワとナナシとムメイ
基本的にオガワは受けの姿勢で周りの人物が入れ代わり立ち代わりオガワに絡んでいくスタイルです。
ナナシとムメイの言っていることは正しく、一見オガワを案じているように見えるけれど恐らく商売道具としてしか見ていないんでしょうね。
大賞を取ったことで二人がすり寄ってきて急激に商売として歯車に乗せられてしまった感じ。
全体を通してナナシとムメイがとても好きだったのですが本性を出す場面だけはちょっと心がヒリヒリしました。
この二人はオガワをどうしたいのでしょうか。
既にオガワに商売的な価値は殆どないと思うのですが、まだ最後に何か残っているかも知れないと思って切り捨てないのか。
「絵を飾るというのは贅沢であり、誰もが良い絵ですね綺麗な絵ですねと言うような明るく華やかなものが求められている。絵を飾る人たちは芸術的な雰囲気が欲しいのであって魂の叫びとかその時代における社会的・精神的な不安が込められたものは求めていないんです。ゲルニカの本物がリビングにかかってたらどう思います?」(一部省略)というナナシのセリフがとても好き。
なんて分かりやい正論なんだ。
確かにゲルニカのかかったリビングで毎日食事をとりたいという人は一般的では無いでしょう。
以前のように融資して欲しいと言うオガワに対して「来年壮絶に死んで頂けるなら、絵の具代いくらでも融資しますよ」ってセリフも好き。
歯に衣着せぬセリフが痛快。
書いた人の頭の良さがよく分かるなぁと思います。
ムメイは以下のセリフが好きです。
作品とは自分を映す鏡なんだと言うオガワに対して「真っ黒な鏡じゃ何も映らないだろ」
酔った末に言葉で人を傷つけるオガワに対して「言葉はそれを言った人間には何の意味もない。いつだって、それを言われた人間の方に意味があるんだ」
これも物凄く正論。かつ良い言葉。
ナナシとムメイが出てくる序盤は二人の方がまともでオガワが駄目なやつにしか見えないのですが、それでもどことなくオガワに好感が持てて見捨てる気になれないのはアツヒロさんの持つ雰囲気のせいでしょうか。
単に透明感があるという言葉では片づけられない何かがあるんです。かといって屈折してるとか拗らせてるという言葉で括りたくもない。
若い方がこの役を演じたとしたらこんな雰囲気は出ないんじゃないでしょうか。
クロエとは
一番の謎としてはクロエの存在だと思うんですが…まず、彼が本当に存在しているのか?という疑問。
舞台の冒頭、オガワがペインティングナイフを持ってクロエと向き合うんです。
黒い絵のあった場所に真っ黒な衣装を纏ったクロエが立つ。そこでまずクロエは人じゃないんじゃないかと思う。
そして「クロエ」という名前。(観劇前はブランドのクロエと同じイントネーションだと思っていたのですが実際のイントネーションは『黒絵』でした)
クロエが絵であることはほぼ確定だと思うのですが、絵が擬人化されて実際に存在しているのかそれとも実際には存在していないのか。
物語の終盤、クロエがナナシとムメイを射殺するんです。
その後クロエも恐らく。
死体処理大変じゃない???
いやすみません。真っ先に浮かんだのが死体処理のことだったので‥
クロエが存在しておらず二人が死んだことが事実なら殺したのはオガワということになるし、クロエが存在しているなら死体は三つ。
ラストシーンでは真っ白なキャンパスに向かうオガワがいて穏やかな雰囲気で終わるんですが、殺人現場は(多分)オガワの部屋で三人ともオガワに関係のある人物。
無実の証明めっちゃ大変じゃない?
舞台は日本ですし日本警察もマスコミもビックリするくらいしつこいし煩いし多分裁判めちゃくちゃ長いよ?
もしオガワが殺したのなら完全犯罪にするためにより気を使いますよね
管理人の予想としては
①クロエが存在しておらず、二人を殺したのはオガワ。
②クロエが存在していて、二人が死んだことも事実だが何やかやあって容疑者にならず平和に終わる。
③そもそも全てがオガワの精神世界の話。
つじつまを合わせようとすると③が一番有力でしょうか。
全てが精神世界とは言わなくても観客が気がつかない内に現実世界と精神世界を行き来しているのではないかと。
クロエはオガワの深層心理であり表裏一体の存在、ナナシとムメイを殺したのは精神世界の話で実際には死んでいない。二人に縛られていた自分を解き放つことのメタファー。
クロエとの命がけの勝負に勝つことで自分自身の主導権を自分が握り、また新たな気持ちで絵に向かうことができたのがラストシーンなんじゃないかと。
物語の中でノイズが入ったり同じセリフをリフレインすることがあるのですが、これがオガワの精神世界の話なら納得がいきます。
オガワの心に残った言葉、深く傷ついた言葉が何度も繰り返されている。
オープニングから言えることなのですが、ビックリするくらいサイバー感の強いオープニングなんです。
登場人物は画家にギャンブラー画商友人絵画鑑賞が趣味の男。
ストーリー自体もサイバー的な要素は無いのに何故このオープニングなのかとずっと不思議だったのですがそう考えるとすっきりします。
勿論一個人の考察なので他のご意見があったら是非お聞きしたいです。
オガワが黒い絵を描くことになった経緯、描き続ける理由など何も明記されていないので考える余地が沢山あって面白いですね。
クロエの好きなセリフは
「どんな親友だって初対面の日はある」
「自分が覚えていようがなかろうがやったことはやったこと、やってないことはやってない。それだけさ。事実や真実なんて人の数だけあるんだ。気にしても仕方ない」
「描きたいものがあったら描けばいいし、それが売れようが売れなかろうが関係ない。誰かに誉められなくたって自分が納得できればそれでいい筈だろ?」
「自分基準じゃなかったらどういう基準で考えるんだ?」
「なんで苦悩なんかするんだ?苦悩しないと芸術家っぽくないからか?」
ナカハラ
この人は演じている陰山さんから謎の男と言われているだけあって謎ですね。
先程の考察の流れから行くとこの人が出ている場面は現実なのかなと思います。
冒頭のナレーションをされていたと思うのですが、その時のセリフがどうしても思い出せません。
「所有するには限りがある。けれど私のものにするのは私の自由。誰が描いたものであろうが関係ない。私が好きなものは全て私のもの」というセリフがとても好きでした。
最後に
考えれば考えるほど面白い演目でした。
一度しか観られなかったのですが一度でも観ることができて良かったなと思います。
これを期にスズカツさんの他の舞台も拝見したいです。
因みにスズカツさんのテキストは全文公開されていて、読むだけでもセリフの美しさが伝わるかと思いますので是非目を通してみてください。