いいえ、その日は舞台なので。

舞台へ通う金欠庶民の感想ブログ

2019【エリザベート】感想


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6/13 愛古田木香成

7/9   愛井田木香成

8/25 愛古平木剣成

帝国劇場にて

 

6.7.8月とエリザ月間でしたね。

全てのキャストを観ることは叶わず残念でしたが1ヶ月1エリザできたのでそれなりに満足です。

当初はルドルフ全員観たいなぁなどと思っていましたが管理人のスケジュールと財力では土台無理な話だったので早々に諦めました。故に観られたのは木村ルドルフのみです。これは逆に木村くんに推されているのでは?

エリザはお祭り感があって何も考えないまま楽しみたかったので史実は殆ど調べないままの観劇です。感想もふわふわしておりますがお許しください。

 

 

愛希シシィ

とても良かった。ここまで来て欲しいというところまで声がガツンと響いて気持ちがよく、『私だけに』は孤独の始まりと鳥が羽ばたく瞬間の美しさに涙が出ました。

力強く天真爛漫でありながらゾフィーを張り倒すまではいかない絶妙な力加減で、幼少から晩年まで違和感なくすんなりと観ることができました。公演を重ねるごとに愛らしく美しくなってどんどん説得力も増したように思います。

 

この演目全体に通ずることですが、美しい花が徐々に枯れゆくような切なさがあり、同情でも共感でもなくただただ悲しい。そしてその悲しみこそが美しい。

『パパみたいに』の若さと瑞々しさ、夢と希望に愛された煌めきを知っているからこそリプライズで「パパみたいになりたかった」とか言われたらもう号泣するしかありません。

「ママみたいに」ではなく「パパみたいに」と言うのがジェンダー感を刺激してよりしんどい。その憧れのパパはフランツの裏切りと同じ(ではないけれど)ように妻を裏切っている訳で、あまりにも無情が過ぎる。

シシィが男だったならもっと自由に生きられただろうか。でもフランツは男だけど縛られて身動きが取れない。フランツが女だったなら?そういうタラレバを並べたくなります。

 

 

古川トート

ただでさえスタイルが良いのに衣装が徹底して縦ラインを強調してくるのでビジュアルの人外感が100点。

リズムの取り方が管理人と合っていたのか、アレンジされていても聞きやすく気持ちの良いアクセントで『最後のダンス』はゾクゾクするような格好良さでした。

人物(?)としては何となく繊細というか打たれ弱いというか今まで甘やかされて来たのだろうなという特有の坊っちゃん感があり、井上トートがシシィに拒まれて「この俺様を拒むなんて!」となるところを古川トートは「なんで??えっ何で???」と素で疑問に思っていそう。井上トートが王様ならば古川トートは王子様ですね。

体操室での擬態、井上トートが姿勢や声色を変え完全にドクトルに擬態しているのに対し古川トートはただの古川さんだったので少し笑ってしまった。個人的には擬態が好きなので古川トートの擬態バージョンも観てみたいです。

 

 

まりおフランツ

ドアの前で「開けてくれ」と懇願するシーン、6月に観た時には声量オバケでうwるwせぇwwとなったのですが(管理人はまりおさんが好きです)7月は悲痛さを前面に出した切ないお歌になっていました。良かった。

まりンツは年齢を重ねると共に声まで老けていくの(に歌もセリフも聞き取りやすいところ)が凄いですね。

『夜のボート』で流す涙があまりに綺麗で貰い泣きしてしまいそう。まりンツはあの瞬間までシシィが戻ってくる可能性を捨ててはいないと思う。見えている世界の違いがより明確になって切ない。

管理人は浮気は死罪だと思っているクチなのでフランツを許せないシシィを当然だと思っていましたが、ずっとゾフィーに従ってきたフランツにとってあれは拒否できるものでは無かったのかな。そんなフランツが唯一自分の意思で愛した人がシシィで、そのシシィに拒絶される…切ない…

まりンツのイメージは愛と哀。

 

 

平方フランツ

平ンツは声も表情も優しくて柔らかくてゾフィーが厳しくしなければ駄目になってしまうのがよく分かる皇帝。

まりンツが自分を押し殺してとても苦しそうなのに対して、平ンツは皇帝の義務を受け入れて、あるいは諦めていてそれが正しいと信じているフシがある。

だから最初からシシィを巻き込んでしまうことには罪悪感があって、『夜のボート』ではシシィに突き放されることが分かっているように観えました。分かっていても愛していると言わずにはいられなかった。

平ンツのイメージは正義と優しさ。

 

 

木村ルドルフ

うまく言えないけれどとても好き。涙で上擦り掠れる声、母親に拒絶された時の表情がとても良い。あと顔が良い。スタイルも良い。

木村ルドはいわゆる好青年で沈み込むような陰鬱な印象は無く、震えて割れてしまいそうな繊細さを感じました。野望や正義感よりも幼い子供が何の疑いもなく親の手を取るような、まさに閣下に唆されてしまったという感じ。古川トートとのバランスが良いように思います。

 

 

成河ルキーニ

掴みどころがない。今日はとても怒っているなと思ったり嘲りが強かったり愉快だったり虚無だったり混沌としていたり、観る度に違う表情を観せてくれるので途中から彼を把握しようと思うことをやめました。共通しているのは怒りと指揮、万能感。ルキーニの仕草にあらゆるものが呼応していて、登場人物に惹かれ物語に没頭しながらもどこかニセモノを感じる舞台でした。

エピローグでトートに向かって「殺して下さい」と言っていると知りもう天を仰ぐ他ありませんよ。なんかもう本当にルキーニなんじゃないのこの人。

戯曲の素晴らしさを最大限に活かすとこういうことになるのかと。現実と虚構のどちらがよりリアルなのか、成ルキを観ていると分からなくなる。

 

ユダヤ人追放のシーン、成ルキは答礼をしていましたね。一体いつから答礼になったのだろう。6.7月に観た時は普通の敬礼だったように思うのだけど最初から答礼だったのでしょうか。もし途中から変えたのだとしたらどのような思いがあったのだろう。

成ルキで一番好きなのがトートからナイフを渡された後。ナイフを受け取った瞬間、つまりルキーニがルキーニになった瞬間それまでの余裕や万能感が無くなってオドオドとした青年に戻る。この姿が本来のルキーニなんじゃないかと思っているのですが、ルキーニってどんな人物だったんでしょうね。

怒りはある、でも獣が攻撃を仕掛けるのは何かに極限まで怯えた時だと思うのです。だからシシィを殺害したのはルキーニなりの反撃なんじゃないかなって。想像ですが。

 

 

3ヶ月、長いけれどあっという間でしたね。キャスト、スタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。

20周年も発表されていよいよお祭りのようだなぁと思います。キャストはどうなるのでしょうかね。全員続投でも勿論良いけれど新作で観たい方もいたりして、色々な意味で発表が楽しみです。今回観ることのできなかったキャストさんが観られたらいいなと願いつつ。