いいえ、その日は舞台なので。

舞台へ通う金欠庶民の感想ブログ

御披楽喜 感想


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9/21 ソワレ

本多劇場にて

男と女が13人。

再会したのは、13日の金曜日

偉大なる恩師の13回忌を巡る

僕と君たちの暗黒史。

 

とても良い体験ができました。演劇にはその物語の登場人物に寄り添い考察するものと演目を通して自分自身や社会のあり方を考察するものがあると思うのですが(またはその両方)、この演目は後者だと思います。

この演目のストーリーを自分なりに簡単に言葉にするとすれば「芸術家として生きるとはどういうことなのか」という話です。

 

まず戯曲が凄すぎるんですよね。このテーマで戯曲を書こうと思ってこのテイストになることあります?という衝撃。絶対に自分の中からは出てこないものを観させて頂きました。

全体を通して非常に暗喩的で、役者が話す言葉がそのままの意味ではない。「言葉の意味」と「感じる意味」がこんなにも違うことがあるのかとかなり脳みそを揺さぶられました。

「個」と「全」を同時に観ている感覚とでもいうのでしょうか、遠近感が違いすぎて眩暈がする。表層と深層のグラデーションが鮮やかでした。

 

 

「個」の話としては元美大生13人が恩師の13回忌(は12年目にやるので実際の13回忌は過ぎている)に集まり、学生時代を回想する。

というのは後に漫画家になった美大生の1人が書いている漫画の内容である、というようなメタ視点にメタ視点を重ねるストーリーで正直全部は掴み切れていません。

13人の美大生には田舎から出てきた童貞や公共の場でおしっこをする元アイドル、自分の才能を殺すために才能のない男と結婚する女、想像妊娠をする女、生活保護ののち餓死する男など色々な人が出てきます。

互いが互いを「才能がある」と思いながらそれを判断する恩師はすでに亡くなっているので自分で自分の居場所を決めることもできない。恩師は生前長生きではなく「長死に」をしたいと言っていた。死んだ後もずっと残り続けるものに価値があると。

芸術家として死ぬのなら静かで安らかな死は許されない。せめて自殺をするべきだ。それこそが芸術になる。

 

 

下ネタが結構酷くて途中でしんどくなったのですがエロシティズム的な意味でも生物的な意味でもそこを避けることは逆に不誠実なのだろうなと思いながら観ておりました。

芸術って何なんでしょうね。芸術の価値ってすべてにおいて相対的で、だから芸術と自分を同化させるのは非常に危険な気がします。芸術のために命を削りアイデンティティを切り売りして自己を破壊していく様はおおよそ生物のあり方から逸脱していのではないでしょうか。

何故、いつ、人は芸術に呪われるのか。

自己表現のための芸術か、芸術のための自己表現か。自己を表現している筈なのにどうしてこんなに自傷性が高いのでしょうか。良いものを生み出すには命をかけなければならないなんて、それが美談になるなんてそんなものは間違っているような気がするのです。

 

13人が肩を組んで夏合宿のことを語るシーンが非常に好きでした。

役者さんの声が晴れやかでのびのびとしていて夏の迫るような青空や頬を伝う汗が見えるようで、絶対に報われないことが分かってしまって物凄く辛かった。

 

生命の存続を優先させると文化は衰退するのでしょうか。それぞれ「個」が生きることだけを考えて生きるのならば…って今の日本社会そのものかと思って項垂れますね。この戯曲がいつ頃書かれたのかは分かりませんが近年ざわざわしている芸術界隈とかなり近いところにいるのではないかと。

資本を継続させることが生命の役割ならば芸術の在り方は再生産に似ているのではないかと思います。自分としての「個」なんて意味は無くて全ては人類を継続させるための1ページにすぎず、資本を後世に繋げることを目的としている。

私たちが個であるのは私たちの指が5本に分かれ目が2つあるだけの意味でしかなく数としての生存戦略を行った結果なのだろうと思います。

文化というものはすべからく死んでいて生きていないから継続できる。そう考えると私達は既に「長死に」をし続けていることになり、それこそが芸術の意味なのかも知れません。

 

この演目を演劇としてやっていること自体に多少なりとも自虐を感じるのですが、作者の意図はどこらへんにあるのでしょうか。もしかしたら管理人が感じ取ったものとは全然別のものを表現しているのかも知れないなぁと思います。

「劇場はなぜ劇場であり続けるのか」というセリフが劇中に出てくるのですが、劇場が劇場であり続けるのは劇場であろうとするからだ、という思いとあらゆるものがそのものであり続けるにはそれを継続する文脈ある筈だという思いがあります。文化というのは途方もなく遠くから続いてきた贈り物で、記録を改ざんすることや資料を破棄することは真に愚かな行為です。

『国が傾いた時に真っ先に声を上げるのは芸術家だ。だから国はかれらにお金を払うのだ』という在り方は大変に豊かで雅量があり、そのような世界であって欲しいと望みます。

 

 

個としての在り方や芸術への接し方を年単位で考えているのですが中々答えが出ません。加えて社会としての芸術の存在や人類全体として受け継ぐべき文脈についても考えていて頭がぼんやりとしてきています。

長年考えている芸術というものに対してまた新たなアプローチを提示してくれた本公演は大変に良い体験になりました。柿喰う客さん、次回公演も楽しみにしています。